「適正な」という意味の誤解

算数のコラム

日常の生活や社会に出た中で「適正な」という言葉は広く使われており、一般化していると思います。けれども、こと受験においてはこの言葉の意味を誤解している保護者が多くいらっしゃいます。
今回はその誤解を解説いたします。

「適正な」量の誤解

入塾後から6年生の前期までのタイミングで一番多い誤解はこれだと思います。よくある相談で「課題が終わりきらない、どうしたら良いか」などがあります。ここで適当な講師だと「じゃあお子様に適正な量で・・・」のように課題を減らしていきます。はっきり言ってこれでは何も解決に至りません。私自身の経験でもこういった返事を鵜呑みにして課題を減らした子で成績が上がった子は見たことがありません。もし、私が相談されたケースでは上記のような提案は致しません。

しかし、この意味のない案に保護者は案外納得してしまうものです。では何故保護者は受け入れてしまうのでしょうか。
考えられる理由はこの案によって保護者がとりあえず当面の不安を先延ばしに出来るから安堵感を感じるからだと思います。そしてその安堵感の先に希望を感じてしまうという誤解が生じているからではないでしょうか。
この希望を感じる流れは下記のようなプロセスを保護者が考えるからでしょう。

子供に現状処理出来る量の課題を取り組ます⇒慣れてくる⇒余裕が生まれてくる⇒行える量が増える

はい、これは全くの誤解です。大きく考え違いされているから上記のように考えてしまうのです。
保護者の方が考え違いされている内容は課題は時間とともに増えていくということです。
上記の方法で唯一上手くいく状況は課題の量が変わらないときのみです。そしてもちろん、課題はどんどん増えていきます、時間の経過とともに増す一方です。それを演習量を減らしてこなせるようにはなりません。

本当の意味の「適正な」量


では「適正な」量の課題とは何なのか、それは指示された課題全てを行うということです。誤解をなさらないでほしいことは教材の全てではなく、指示された全てです。
私はこれが本当の意味での「中学受験に適正な」量の課題だと思っています。適正かどうかは、子供ではなく中学受験という状況からの視点で判断をするべきです。ここは大人である保護者が考え担うべき部分だと思います。
「うちの子には終わらない」、そう仰る保護者の方も今まで沢山見てきました。しかし残念ながら終わるのです。大半の子は出来るのです。真実は、出来ないのでなくやらないから終わらないのです。だからやれば終わります。

それでも「うちの子には無理だ」と仰られる場合もあります。その場合は残念ながら、受験は諦められたほうが良いと思います。非常に厳しく冷たい言い方で申し訳ありません。ですが、受験は競争です。その競争に打ち勝つための努力・忍耐・苦労、こういった物を対価として合格はあります。それを抜きにして、合格という果実だけを得ようと思われるのならばご家庭の考えが甘いので中学受験を望まれるべきではないと私は考えています。今までの卒業生が全員、どれほどの努力を積み重ね歯を食いしばり前に進んできたかを見続けて指導してきた身としてはここは譲れません。

余談ではありますが、私が一人で指導していたときは入塾の際に保護者に必ず伝え約束してもらったことがあります。それは「合格を目指し、厳しく指導していくことになります。だからどの子も必ずいつかもうやりたくない、辞めたいという日が来ます。その時に毅然とした態度で『それでも行きなさい』と子供に言い無理矢理にでも行かす覚悟を持って下さい。ご家庭がその覚悟を持って頂けたら、私は合格への道を何としても作り上げます。」ということでした。保護者が腹を括れないと、子供が覚悟を持つことなど不可能です。

話がずれましたが、中学受験だけではないと思いますが目的を達成するためにはやらなければならないことはやらなければならないのです。それを小学生という年齢の子供に行わせるためには、良い悪いは置いておき強制的なことも必要になってしまいます。その覚悟と視点を保護者は持って頂くことが合格に向け重要なことだと思います。
また厳しい言い方になってしまいますが、子供のモチベーション云々を指導側に求めるご家庭はそういうのを謳っている塾や個別はいくらでもありますのでそちらに行かれることをお薦め致します。合格を勝ち取る家庭はそういった次元ではやっておりませんから。

※唯一の例外として、6年生の後期で過去問や志望校別などが始まってからは一週間に可能なキャパを超えますので取捨選択します。

「適正な」レベルの誤解

次によくある誤解は「適正な」レベルの問題という誤解です。「難しい問いを扱うと実力が上がる」という幻想からの誤解ですね。
これは残念ながら成績が伴わない子供の保護者の方の考えに非常に多く、成績上位の子供の保護者は真逆に考えることです。下位コースを担当している際などに「授業で扱っている範囲だけでは成績は上がらないですよね?」などの文句に近い相談をされるケースもありますが、成績が上がらない正しい理由は「授業で扱っている範囲を正確に理解し出来るようになっていないから」です。扱った内容を正確に出来るよう練習できれば、必然成績も上がり仮に上位コースに上がれば扱う内容もより高度になります。

この順番が一番大事なのです。重要なのは『基本の徹底した理解した上での定着⇒応用』の順に行うことであり、決して反対はないという事です。
こういったことはスポーツで考えれば当然のはずです。例えば、この夏や冬のオリンピックで大人気のスケボーやスノーボードのハーフパイプなどでまだまともに滑ることもままならない子にいきなりジャンプトリックなどをやらせて上達すると思いますか?そんなことを強要するコーチがいれば辞めさせますよね。ですが、こと勉強という面になるとこれを行おうとする家庭が一定数いることに頭を抱えます。

本当の意味での適正なレベル

では上記を踏まえて本当の意味での適正なレベルは何なのか、それは扱った問いの中で間違えた問いです。授業の中で一度扱っている、その問題を復習時にまた間違えているのならばそれが子供にとって超えなければならないレベルだということです。

つまり、レベルに関しては子供の現状を基準に考えていくべきです。量のときとは違い、子供の現状から考えていかなければ定着もせず無駄な努力になってしまいます。

積み上げから見えるタイムリミット

上記のように練習すべき問題のレベルというのは、子供の現状から見ていきます。そうすると、そこから見えてくるものがあります。それはタイムリミットです。

扱うレベル帯を上げていくには地道な積み重ねが必要になります、つまりどうしても時間が必要なのです。一度やったから、以前に解いたことがあるから、こういったことで次回も類似の問いを解けるようになるには膨大な基礎をきっちりと構築出来た上での話になります。だから、最後の最後になって何とかしようとしても間に合わないのです。具体的な時期で言うと、6年生の後期から何とかしようとしても間に合わない可能性が非常に高いです。

大きな分岐点

6年生の夏期講習が終わった後期のタイミングで動こうとする保護者が本当に多いのですが、何度も言いますがそれでは遅いのです。算数での一番大きな分水嶺はもっともっと前にあります。それは5年生の前期での割合を学んだ瞬間です。つまり、保護者が多く動かれる時期の1年以上前だということです。最上位校を目指す場合だけでなく、中堅校以上を目指すのであればこの段階からテコ入れをしていかなければ最後に追いつかなくなります。

では、なぜ割合を学んだ瞬間なのかというと割合が非常に抽象的な内容だからです。その手前である程度抽象的な内容をやっていますが、一番本格的に抽象的な内容をしっかり扱い始めるのが割合からです。
ここから非常に成績が下がる子供が多くなります。上位層でも算数が極端に出来なくなる子がこの時期からポツポツと現れ始め、潜在的に怪しい子も後期には沈んでいきます。

保護者が子供をこのままで大丈夫かどうかを判断する一つのやり方として、割合の問いをなぜそう解くのか聞いてみて下さい。大人から見て「あぁ、そう考えているのか」と納得出来るなら大丈夫でしょう。もし「何を言っているのか分からない」と思われるならもう危険信号です。感覚的に解ける単元も算数には多くありますが、割合の単元を何となくでやっているレベルで許されるのは大して高くありません。はっきりとした論理と理屈で理解していないとこの先の高度な内容は全く理解できません。そして早晩ついていけなくなってしまいます。テストの出来・不出来ではなく、最後の入試から考えていかなければ上手く行かないというのは常に保護者に意識して頂きたいことです。

まとめ

適正な量とレベルを保護者が理解し行う、それがご家庭の中で必要な内容だと思います。その上でリミットがあることを踏まえ、常に先手先手で動いて下さい。先を見通して行動できるのは大人になります、子供の受験を成功に導くために状況には常に敏感になりましょう。

タイトルとURLをコピーしました